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​来談者様の感想

来談者様の感想の一部を掲載します。

相談しようかどうか迷っているすべての来談者様の参考にしてほしいと

アドバイスくださったものです。ほかにも多数、感想をいただいております。誠にありがとうございます。今後も随時、​感想を掲載していきます。

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10代

強迫症​

強迫観念が続き、きもちがずっと不安定だったので、カウンセリングルーム

さくらに来ました。​先生に症状の説明や対処法を聴き、家でもその説明の

とおりに行っていたら、すぐに症状が良くなりました。気持ちがすごく楽に

なったので、とっても嬉しかったです。

担当:小林

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30代

​フラッシュバック

同意されたこと(「自分は悪くない」と) 学生時代に部活動で見た目のことやそれ以外のことで

​周りから会うたびに言われまくり、それを辞めてもらえずにいて非常に腹立たしく「自分がまちがっている』と言われまくりましたが、これを受けて「悪いのは100%周りで、間違っているのは周り』と言われ助かりました。卒業後も忘れられません。

担当:熊谷

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めまいに対する考え方が変わり、生活しやすくなった。自分が病気であることを良くも悪くも受け止め、むりすることなく生活しようと努力できるようになった。

20代女性

​慢性めまい

担当:姜

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​気分変調症

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担当:熊谷

3年間お世話になりました。通い始めた頃は気持ちの落ち込みがひどく、

自分ではコントロールすることができませんでした。

 

熊谷先生の献身的なさぽーとにより気持ちも体調も回復し、今では

日常生活に​まったく不便なくなり働きに出ていけるほどに回復しました。

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50代の女性

PTSD, うつ病

担当:小林

DVが原因でうつ病を発症し、日常生活もままならなくなり地元に戻り1年間静養。離婚が成立し、症状が落ち着いてきたので薬を服用しながらフルタイムで働き10年以上が過ぎました。仕事にもやりがいを見出し、子育ても一段落した時期に、不眠や不安症状が強くなりました。時々記憶も飛ぶようになり、自分に何が起きているのかわけがわからず、食事もとれなくなって休職に至りました。元々何事にも自信が持てず、自分を忌まわしい存在のように感じながら過ごしていること、DV以外にも子ども時代に親との関係がうまくいっていなかったこと、職場でNOということができず何でも引き受けてしまうことを知人に話したことで、カウンセリングを勧められました。カウンセリングに対して、ただおしゃべりをするというイメージを持っていたのですが、知人から、認知行動療法の効果について聴いたことや、静養と服薬だけでは根本的な解決にならないと説得され、インターネットで探してこちらにお世話になることに決めました。

 小林先生と時間をかけて話していくうちに、私にはDV以外に、子ども時代にもトラウマがあることがわかりました。それまで、私は他者と深く関わることを避けていました。孤独でいなければいけない、何かにつけ自分を責め、自己犠牲を強いることを良しとしていた私の生き方を、先生は変えていくことができると言ってくださいました。ここまで生きていたことを褒めてくださった小林先生の言葉に涙が溢れました。第1段階は子ども時代の辛い記憶を呼び覚ますこと、第2段階はDVを受けていた時のことを思い出し、自分の言葉でその時の状況を話し録音したものを毎日聞き直していくことは辛い作業でした。でも、回数を重ねるごとに憑き物が落ちたように心が軽くなっていきました。毎回、心の状態を数値で記録して経過を確認していきました。復職してからも、ストレスがかかる出来事が起きる度に、事例として紙に書き出し、思考や感情、ふるまいをコントロールする方法を教えていただきました。ただ我慢するのではなく、適切な対処の仕方を学べたことがその後の生き方に大きく影響したと思います。

 今は「幸せになることを諦めなくていい。」と思いながら毎日を過ごせています。カウンセリングを受けることを迷っている人がいるならば、資格、経験だけでなく確かな実績のあるカウンセラーを選ぶことをおすすめしたいです。小林先生、大変お世話になりました。ありがとうございました。

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50代 両親

子どもの不登校・

ひきこもりへの

​コンサルテーション

担当:小林

中学1年の春 突然の不登校から始まり外との関係を全て断ち、昼夜逆転、電気

もつけず、食事もろくにとらずどんどん痩せていく様子を見ていて私も主人も心が

押し潰されそうでした何処にいてもその事が頭から離れる事はありませんでした。

その頃、知人から小林先生のカウンセリングを紹介して頂き、主人と2人通うように

なりました。

先生から頂いたアドバイスの中で私の心に残っているのはどの子でも

自分の部屋に居る時間があるように息子も、今自分の部屋に居るだけと

言う気持ちで声をかけましょうと言う事です。

お風呂に入らなくて困っていた時も家族の誰にでも言うように

『お風呂空いてるよ』の一言、出かける時も『行ってくるよ』帰って

来たら『ただいま』買い物に行く前は『何かいるものは?』『食べたい物ある?』

本当に普通の一言を大切に部屋の前まで行って声をかけました。

お手伝いをさせるというアドバイスでは自分の食べ終えた食器を台所まで運ぶと

いうところから始まり最終的には自分の部屋の掃除を出来るようになりました。

どんな些細なお手伝いでも『ありがとう』『助かったよ』と感謝の気持ちを伝え

お布団のカバー替えなど一手間かかるものは、手伝いが必要かどうか必ず確認して

二人で一緒にやりました。

それでも何も変化の無かった時期や前進したり後退したりの時期もありました

が突然、髪を切って欲しいと言い出してからは、いろんな事を前向きに頑張り始め、

外出もするようになり、春からは学校に行く事を決めました。主人と二人、先生の

アドバイスを信じて何とか乗り越える事が出来ました。

今思う事はどんな時でも、どんな状態でもそのままの子どもをただ好きでいる事

かなと思います。その為には小林先生の様なプロの方にご相談して自分達の気持ち

を穏やかにさせる事も私達夫婦にとっては必要でした。それが長いうちに

子供に伝わるのかなと思っています。

今は、毎日おはようと元気に起きてくる息子との生活が、どんなに大切なものかを

しみじみと感じています。長くなってしまいましたが先生本当にお世話になりました

そして本当にありがとうございました。

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10代女性と母親

​強迫症

担当:小林

私はやめたくてもやめられない行動をなくすために、すべての行動をリストアップし、次のカウンセリングまでになくせるように努力しました。この方法により、少しずつやめたくてもやめられない行動をなくすことができました。また、受験生の時には『ストレス耐性』の話を聴き、ストレスに強くなり、ストレスとの上手な付き合い方を学び、

受験の時の支えになりました。

娘が強迫性障害になった当初は、病気についての知識もなく、学校、通院、娘へのサポート等、悩みが尽きず混乱状態でした。しかし、小林先生と話すことで不思議なくらい頭の中が整理され、自分自身がどのように娘と接したらよいかを学ぶことができました。今では、娘の健康を第一に考えた生活を心がけています。いつも支えていただいた小林先生には感謝の気持ちでいっぱいです。

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女性

PTSD, 抑うつ状態

担当:小林

私がカウンセリングルームにお世話になったきっかけは、嫌な記憶の長年のフラッシュバックが、親の突然死とそれに関わる問題のせいで、更に酷くなり体が急に重くなり仕事に行けない状態になった事です。このままでは自分の生活が成り立たないという不安が大きくなりました。

しかし、カウンセリングルームというものを知らなかったので、10年前に診てもらった事のある心療内科クリニックに相談し、話を聞いてもらえた安心感はありました。けどそれだけで症状は変わりませんでした。どうすれば今の状況が少しでも良くなるのかを考え、心理学関係の本をいろいろ読みました。

自分の考え方を変えるしかないと思いましたが、本で得た知識を行動に移すのは難しいことです。浅い知識は時間が経つと忘れてしまいます。

『カウンセリングルームさくら』のホームページを見つけました。PTSDトラウマ治療は何をするのかをググっても分かりませんでした。分からないだけに、今より具合が悪くなったらどうしようという不安もありました。それ以上に、今の不安が不安を引き寄せる予期不安の悪循環を断ち切りたいと考えました。もし辛かったらやめればいい。いつでもやめるのは自由。もし1つでも何かに気付けて、見方や考え方が変わることができるのなら、この今の辛い悪循環を断てるのではないかなと考えました。

数珠も細い紐を1箇所だけ弱い力でハサミで切るだけで、バラバラになってしまう感じです。嫌な感情の全てが紐付いているのが悪循環の負のパワーの原因です。自分1人では、どこの部分をどうやって、何を使って、どのように切断すればいいのかが全く分かりません。だから今までずっと苦しんできたのだと思います。カウンセリングや心理学は、日常生活で耳にする事はほとんどないと思います。だから、未知の世界であり近付き難いのかもしれません。カウンセリングルームでは、心理学を専門に学ばれた心温かい心理師さんに、話を聞いてもらえます。ずっと誰にも言えなかった辛い経験を聞いてもらえて、私はそれだけでとても心が救われました。トラウマ治療の中では、ずっと苦しみを抱えて1人でなんとか思考処理して頑張ってきたんだなって事にも気付かせてもらえました。未熟ながら自分で自分の気持ちを保つ為の方法だった事でも褒めてもらえました。自分に責任のない悪い事でも全てが自分の責任だと思い込み、自分でなんとかしなければと自分を責めてばかりだったので、自分への見方が少し変わりました。また、嫌な事から逃げる為の時間潰しと心の拠り所になっていた、その時のお菓子を食べてみるという課題がありました。とてもマズくて驚きました。この瞬間に、今の自分は自分で働いたお金で美味しい物を好きな時に好きなだけ食べられるし、こんなにマズいお菓子を今はもう食べる必要がないんだ!という事に気付かされました。そうか、今は自由でやりたいことをやれるんだ、嫌なことはもう過去の事だったんだ、とはっきりと感じる事ができました。

他にも、不快な気持ちになることをできる範囲で行う課題があります。ある程度不快なことをすることで、現在の自分の環境と対比させられている気持ちにもなりました。山奥の暗い夜空ほど、小さな星が良く見えます。流れ星も何回も見えます。映画館は暗いので映像がキレイに見えます。対比する物の明暗の差が大きい程、反対の物を引き立てる効果がある明暗反応。この原理だと気付きました。

トラウマ治療は、過去がどれだけ酷い環境で辛い気持ちだったかを、心理師さんのサポートの中で向き合います。思い出す中で、自分が何を考えていたのかも思い出せます。今はそれをどのように考え捉えるかで、反芻(はんすう)思考から少しずつ開放されていくのではないかと思います。向き合うのは辛い事もあります。辛い事に向き合う事は1つの成功体験にもなります。次もできるはずと思えてきます。これは、これからの人生にも役立つと思います。もし、続けられそうにない時はやめてもいいと思います。気持が落ち着くだろう1年後に先延ばししてもいいと思います。自分のタイミングと価値観で行動するのが、自分を守る事にもなるからです。私は、何か行動を起こさないと潰れてしまう状況の中、僅かな可能性でもあればと模索していました。その模索行動も心理師さんに褒めてもらえて嬉しかったです。あの時に何もしなかったら、私は辛い気持ちの悪循環に押し潰されて無職で鬱の苦しみの中にいたと思います。今では、反芻思考による予期不安の増強がなくなり、仕事は続けられ、好きな事に集中できるようにもなりました。

先日、ウィンタースポーツの準指導員検定に合格し、インストラクターとして教えることができるようになりました。大会にも参加します。世界が広がった感じです。そこで出会った人達との交流も広がり、楽しい時間が増えました。練習とイベントの役割などがあり、嫌な事を考えてる時間がありません。カウンセリングルームのおかげで好きな事に集中できるようになりました。今は幸せな時間が増えました。今は辛いけどダメ元で何かを少しやってみようという気持があれば、今が良いタイミングなのではないでしょうか。辛い気持ちが少しでも晴れる為のサポートを受けられる心理師さんに是非会いに行ってみて下さい。カウンセリングだけ受けてみるのも良いと思います。今まで辛くても頑張ってきた方の気持ちが軽くなり、楽しい時間が増えて幸せになれる事を祈っています。

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30代女性 

PTSD うつ病 

休職からの職場復帰

担当:小林

 私は、あることが発端となり、仕事の関係者から恫喝を受けてしまいました。その頃から、少しずつ眠ることができなくなり、自分を責めました。その後、相手が要求する条件をのまなければ、違う手段に出ると言われました。話合いでは、相手の怒号がとび、自分を責め続けながら、謝罪をしました。  このことがきっかけで、張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまい、私は今の仕事を辞めるべきだ、私と関わる人はみんな不幸になる、いやな気持ちになる、と、ネガティブなことばかりを考え、自分をより責めるようになりました。  私のせいで、という考えが頭から離れず、毎日泣きながらなんとか職場に行きましたが、様々な判断ができなくなり、何をしていても涙が出てくるようになりました。鬱状態になり、こんな自分をどうにかしたい、助けてほしいという思いから、かつて親友や親友の夫が小林先生のカウンセリングで元気になったことを聞いていたので、紹介してもらい、小林先生のカウンセリングに申し込みました。  小林先生は、私の様子を見て、様々な不安や自分を責める気持ちを受け止めてくださり、すぐに医療機関とも連携してくださいました。  まるで別人のように笑えなくなり、毎日誰かにつけられている、見られているという強迫的な観念も出てきて、外に出ることもつらくなった日もたくさんありましたが、小林先生とのカウンセリングを心の支えにしたり、目標にしたりしてしばらく過ごしてきました。私が休職して、職場のプレッシャーから離れたころ、ある日私はPTSDの症状があることを小林先生から教えてもらい、医師からも診断をいただき、トラウマ治療を行うことになりました。今話すべきである、という小林先生の判断通り、PTSDだと言われたとき、素直に事実を受け止められたし、少しほっとしました。なぜかというと、自分がもう自分ではなく、今までのように戻れないと思っていたからです。PE(持続エクスポージャー法)というPTSDへのカウンセリングは毎回、つらかった場面をカウンセリングの時間内に話し、それを毎日自宅で聞くという治療です。最初は、涙が止まらずつらかったことを思い出し、向き合うことがとても辛かったです。でも、小林先生は毎回話を聞いてくださり、励まし、考え方のクセを見つけてよい方向へ導いてくださいました。つらかったエクスポージャーも毎回頑張り、少しずつトラウマと向き合えるようになりました。  不安階層表に基づいて、毎回現実エクスポージャーの宿題が出ました。毎回小林先生が私の様子を見ながら、トラウマ体験をきっかけにできなくなったこと、行けなくなった場所にも向き合えるよう励まし、勇気づけてくれました。おかげで、少しずつ不安がなくなり、怖くてできなかったことができるようになりました。  小林先生が私の心や言葉を細やかに、大切にしてカウンセリングや治療をしてくださったおかげで、休職してから半年でカウンセリングとトラウマ治療は終了し、慣らし勤務をして復職することができました。今では毎日フルタイムで働き、残業もできるようになりました。仕事をすること、仕事の関係者と関わることに恐怖心はないし、一度は諦めかけた、仕事がとても楽しいです。半年前の自分では、今の自分を全く想像できませんでした。 私のような公的な仕事をしていると、悩みをもってはいけないかのように、思われてしまうことが多いのですが、職業に関係なく、私も人間です。もし、私のような経験をし、自分を責め続けている人がいるならば、小林先生に心の中にあることを話してみてください。必ず帰るときに、心が軽くなり、モヤモヤしていて答えが出ない悩みも、少しずつ雲間から光が差すように、いつか解決できそうだと思えます。  今、私はこの経験を今の自分にとって人生の糧にしよう、よい経験だったと、よいことを教わったのだと思えるようになりました。それは、小林先生が最後まで私を信じ、励まし、心に寄り添ってくださったからです。  これからは、やりたい仕事ができる幸せを感じながら、人生の糧を忘れずに、生きていこうと思います。  小林先生と出会えて本当に幸せでした。ありがとうございました。

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20代大学院生の保護者 

 発達障がい 

不登校

担当:小林

私の息子は、新潟にいるときに、小学5年から発達障害で不登校になりましたが、今春、大学を卒業して、大学院にすすむことができました。小林先生の助言により、何回もあった危機的な状況を乗り越えることができました。本当にありがとうございました。 今では発達障害について、広く認知されていますが、当時はあまり知られておらず、不登校になって数ヶ月して、発達障害ではないかと市の支援室からはなしがありました。 当時は混乱して家の物を壊したり、家族に暴力を振るったり大変な状況でした。 立ち直る処方箋が見つからないなかで、小林先生からのカウンセリングをうけることにしました。最初は、本人は来れず、家族と訪問しご相談しました。その後、何回か本人もカウンセルリングを受けて勉強を少しずつ始めました。私の転勤により首都圏にもどることになりました。小林先生から助言をいただき、支援が受けられる学区外の中学校に転校しました。転校先の中学では、相談室登校ができるようになり、毎日、何時間も勉強して試験成績はトップクラスまでになりました。順調に回復するかと思われましたが、コンプレックスやネットでのトラブルのトラウマから大混乱をしました。 高校は、サポート校に進学しましたが、人間関係がうまくいかず、中退し高認資格を取得し大学進学を目指す道を選びました。その間も混乱することが、何回かありましたが、そのたびに、小林先生に助けていただきました。 紆余曲折ありましたが、1年浪人して地元の国立大学に入学することができました。 大学では、単位は順調に取得し、バイトやサークル活動等で充実した日々をすごせました。 そのなかでも入学当初等や卒業論文などで混乱しましたが、ここでも小林先生のカウンセリングをいただき乗り越えることができました。 (混乱はしましたが、大学生になったときは、混乱の度合いや回復力は格段に進歩したと思います。) 小林先生の問題解決へのアプローチは本人への直接の的確なアドバイスの他に、学校の選定や環境の整備等のいろんな角度から解決策をご助言いただき、カウンセリングスキルの高さはすごいと思います。大学卒業までこれたことは、小林先生の助言の賜物です。本当に、先生に巡り会えて運が良かったと思います。 2年後には就職予定ですが、まだまだ課題があると思いますが、何とか乗り越えていけるようにと思っています。

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10代女性

嘔吐恐怖

私は通っている病院の紹介で通うようになりました。カウンセリングルームで先生と話して、自分ができないことの原因となっている感情が嘔吐恐怖にあるとわかりました。 小学生の時から嘔吐恐怖はありましたが、今まで学校に行けなくなったり人込みに行けなくなったりした理由も恐怖からだとわかりました。 先生はいつも「怖いから行動しないのではなく、なってしまってから考えよう」と言っていて、その言葉を思い出して、怖くても1口でも多く食べたり、わざと電車に乗ったりするようにしました 今は怖いと思っても、行動することができるし、少し自信がついて目標もできました。先生がおっしゃっていた通り、この先不安が完全になくなることはないと思います。 けど、カウンセリングでアドバイスしてくださったことを思い出してこれからも頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。

担当:関根

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30代女性

パニック障害

担当:小林

私は6年前、ショッピングセンターで急に動悸、眩暈、過呼吸、手の震えの症状に襲われパニック障害と診断されました。その日を境にそれまでの生活が一変しました。外出や仕事に行くにも頭の中はまたあの症状が襲ってくるのではないかと常に恐怖心があり何度も発作を繰り返すようになり、仕事は退職しました。まさか自分がパニック障害になるなんて、外出や趣味の旅行にも行けない、普通の生活ができない自分が情けなく責める日々でした。しばらくして再就職することができましたが、仕事は夜勤もあり不規則なためパニック障害も悪化し、自分自身を判断できないくらいの状態になりました。そんな時、1年前になりますが友人の紹介でさくらの小林先生を訪ねました。小林先生はとにかく私の話に耳を傾けてくださり、初めて自分の思いを伝えられ理解してくれた先生です。そして認知行動療法が始まりました。発作に対する恐怖心、対処法など的確なアドバイスをしてくださりとても力になりました。私はめまい、動悸、広場恐怖がありました。椅子を回転させてあえてめまいを起こす、猛ダッシュをしてあえて息切れ、動悸を起こさせることを先生が一緒にしてくださり、私が怖がっていたパニック発作による眩暈や動悸は、人工的にも起こせるということ、もし、発作が起きても決して怖くない(対処できる)との思考に変わっていくことを自分の体験から実感しました。徐々に恐怖心も取れて、今ではスーパーや高速道路の運転もほとんど気にならずできるようになりました。そして、海外旅行も楽しむことができました。パニック障害はとてもとてもつらいです。小林先生と出会い、認知行動療法により回復できたこと、自信を持てたこと、心から嬉しく感謝しております。同じパニック障害に悩んでいる方が一人でも多く回復されることを願っております。小林先生、本当にありがとうございました

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10代男性

パニック症

担当:神村

高校生の息子がお世話になりました。高校1年の夏ごろから、学校で吐き気を覚え、バスや人混みへの苦手を訴えるようになりました。不登校にはなりませんでしたが、最低限の外出しかしなくなりました。いじめが原因かとも心配しましたが、そうではなかったようです。ではいったい、何が原因なのか。主人とネットであれこれ調べ、たくさんある心の病気、障害の名称について調べました。読めば読むほど、当てはまってくるように思えてきて、不安は広がるばかりでした。心療内科を受診してお薬を飲むことにしましたが、目に見えた改善はありませんでした。そこで、「さくら」さんでカウンセリングを受けることにしました。 中学でも高校でも、部活にも参加し、多くの仲良しもできたのですが、高校、教室という空間に対しての、本人にしかわからない独特の圧迫感を抑えるのは無理でした。「自分でも自分が情けないがどうしようもない」という意味のことをよく口にし、時に涙を浮かべていました。小さい頃から、体調のことには妙に神経質なところがありました。外食を好みませんでした。そのような傾向が高校に進学して急に強くなったのです。親としても「どうして?」とイライラも覚えましたが、本人の苦悩はその何倍もあったことが、カウンセリングの中で語られました。「この先自分はどうなるのか、生きていてもしかたないのではないか」と追い詰められていたそうです。 カウンセリングでは、私が同席する時間、息子だけの時間、時には母親だけの時間と、柔軟にとっていただきました。診察の時間が短い心療内科の主治医の先生に、どう情報や希望をお伝えするのがよいかというアドバイスもいただきました。結局、処方薬が調整され、お薬の効果も実感できるようになりました。実は、カウンセリングというと、親の育て方が悪かった、母親が原因、みたいに言われるのかと不安でしたが、そういうことはいっさいありませんでした。「子どもの乾燥肌による症状が親の育て方のせいではないのと同じ」という説明でした。 パニック症であること、打つべき手だてがある症状だと理解できました。紹介いただいた認知行動療法は、カウンセリング、というよりリハビリでした。症状に応じたリハビリの方法は様々あり、その中から当面やれそうなことを選んでよい、ということでした。はじめは「そんなのとても無理」と難色を示した息子でしたが、少しずつ、進めていくことができました。やってみればやってみただけ、改善が得られ、達成感を覚え、意欲もわいてきました。 高校の先生方にもいろいろお世話になりました。いろいろありましたが、将来への展望を持てる道筋がみつかりました。目標とする進路に向け努力を始め、そればかりでなく、趣味のことにも取り組めています。詳しく書けませんが、他の人から喜んでいただける活動にも取り組めています。親としても、我が子のよいところにも着目できるようになりました。認知行動療法というリハビリは、再発を防ぐために、ある程度の継続も大事、ということですが、やり方の基本を理解できたので、カウンセリングは終了し、今は息子本人が自分で健康管理をすすめています。 (以上は、実際に来談された方の感想をご本人が特定できないよう一部改変した内容で、保護者の方に許可を得て掲載しております

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60代男性

ギャンブル依存

担当:神村

カウンセリングを勧めてくれたのは、嫁いだ長女でした。パチンコによる600万円超の借金は、金利を考えて退職金をあてるしかありませんでした。自分の手でつくりだした借金です。自分ではあきらめがついていました。借金がばれた時は、3人の子どもたちを大学まで出してそれぞれ自立して、自宅ローンの返済もすんでいました。他にこれといった道楽はなく、再就職のめどもついていました。 最大の問題は家内との関係の悪化でした。「悪化」というレベルではりません。家内にしてみれば、私のせいで、「老後の計画」が全て崩れ去ってしまったわけです。家内は1年以上も、精神的に不安定でした。長女も、家内の自殺を最も心配していました。比較的近所に住む次女は、私にいっさい口をきいてくれなくなりました。 そんな家内を心配し、カウンセリングは、家内にこそ必要じゃないかと思いましたが、自分からそれを口にすることはできませんでした。「離婚してもいまさら戻るところもなければお金もない」と何度も叩かれ、泣かれました。私が黙ってテレビを観ながら食事をしていると、突然、「平気でそうしていられることが理解できない」とキレだすのです。夫婦そろって体重を落とし、やつれてしまいました。 カウンセリングも、通う前は乗り気ではありませんでした。その前に一度、心療内科クリニックを受診しましたが、ここでは「心を安定させるお薬が必要」と最初から決めつけられてしまい、継続する気持ちにもなれませんでした。そこで紹介された、依存症患者のミーティングにも1度だけ「お試し参加」をしてみましたが続きませんでした。回復のきっかけになったという方もある、ということでしたが自分にはあいませんでした。うまく言えませんが、「『自分は人間のクズ』というところから再出発をめざす」という考えを、どうしても受け入れることができませんでした。 神村先生のカウンセリングは最初から、「自分が思うところの自分のままで」受けることができました。認知行動療法、という言葉から受ける堅いイメージはありませんでした。依存症となるような弱い自分、情けない自分、という見方が前提ではなかったのです。はまってしまった経過を具体的に確認してもらい、今日から何ができるか、何が有効か、を整理していただきました。数回、一緒にカウンセリングを受けた家内には「あの先生は少し甘いのでは」と映ったこともあったようです。しかし私の中は、初回を受けてみて、「ここだったら継続して通えそうだ」という予感が生まれました。カウンセリングにも慣れて、家内の不安定さが自分にとってストレスであることを訴えましたが、先生は「耐えていること」を評価してくださり、さらに簡単なアドバイスを提案していただきました。その後、家内がカウンセリングに参加した時、家内に向かって、「これを止めるように」とはおっしゃりませんでした。当時は、不満もありましたが、もし、家内にそんなことを言われていたら、いまごろ、家内も、夫婦の関係も、どうなっていたかわかりません。 カウンセリングで一番印象に残っているのは、ギャンブルをせずとも「わくわく」できる生活が重要であるがそれが実際にできつつありますね、と指摘されたことでしょうか。それから、ギャンブルをつい許してしまう自分への「言い訳」への自覚を持たせてくれたこと、それから、イライラをまだ芽のうちに対処する方法へ導いてくださったことでしょうか。頭ではわかっていることが、すっと心に入るところがカウンセリングのいいところだと思います。 おかげさまでカウンセリングを受け初めてまる2年間、回数にして12回程度で、すっかり自身が持てるようになりました。最後のカウンセリングでは、「今もまだ、はまっている方へのアドバイスをお話いただけますか?」と尋ねられました。あくまで自分の場合ですが、①長女からすすめられたということ、②依存症という病気持ちなのだというラベリングを感じないカウンセリングであったこと、③心理分析でなく今後のための具体的なアドバイスをもらえたこと、④「自分でかせいだお金の一部で、それなりの収入を得て、家族には水準以上のことはやってきた」という「言い訳」としっかり向き合えたこと、がよかったとおもいます。自分の経験では、「なんとか6ヶ月やらなければ、止める勇気がわいてくる」のではないかと思います。 おかげさまで、家内もかなり落ち着いてきました。神村先生は、カウンセリングは「きっかけのひとつですから」という言い方をされました。確かにそうかもしれませんが、パチンコで失ったお金と時間を考えれば小さい負担で、大きなきっかけになりました。長女と先生には、とても感謝しております。

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40代の男性

重度の強迫症

担当:小林

僕は強迫で25年間人生を狂わされ、でも逃げてしまい、苦しみ、たくさんの大切なものを失い、

長い時間を無駄に送ってきました。でもその経験が同じ病の、しかもこれからの​若い人のために役に立つのであれば、僕の地獄は無駄ではなくなったわけです。(~途中省略) さくらで不定期に「集団エクスポージャー(強迫症への行動療法の技法)がありました。そこでは、強迫性障害の専門家の指導の下、皆で励ましあってエクスポージャーをしました。「みんな苦しんでる。でも頑張っているんだ」と実感し、モチベーションになりました。治療を一緒にやるのは効果があると感じますが、「専門家の指導の下で」やることが絶対条件ではないのかな、と思います。「強迫友だちができて愚痴りあう」は非常に良くないです。ツイッターなども、頑張っている人、を読むのがとっても大事です。「私は、まだ、ましだ」と努力をやめるのは強迫あるあるです。絶対に避けねばなりません。僕は、5人の素晴らしいスペシャリストに導かれました。5人のサポートがなければ、今でも外でトイレはできない暮らしであったことは確実です。絶望の真っ暗闇の中、僕の隣で「こちら側に一歩進んでみましょう」と3年間励まし続けてくれました。時には足がすくんだし、逃げだしたいときもありました。歯を食いしばって歩き続けられたのは彼らのおかげです。でも泥沼を歩き続けたのは「僕」です。治療に踏み切るのか、決めるのは「あなた」です。

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